ヤマハってこういう字なのか。

へー。

国産グランドピアノ:国産最古? 奈良女子大の倉庫で発見
脚部や前面が彫刻で飾られた日本最古のグランドピアノ=京都市北区で16日、懸尾公治写す

 奈良女子大(奈良市)の倉庫で見つかった明治時代のグランドピアノが、解体修理の結果、現存する最古の国産グランドピアノだった可能性が出てきた。現存最古とされている東京都港区教委所蔵のグランドピアノより古い形式を示す特徴があった。脚部や前面、譜面台を彫刻で飾り、鋳鉄のフレームには専門家が「国産では見たことがない」と驚く見事な透かし彫りが施されており、同大は「現代の技術で蘇らせ、活用したい」としている。

 備品購入記録から、同大創立当初の1909(明治42)年に購入したものといい、02年に明治の洋風建築で知られる同大記念館(重文)裏のプレハブ倉庫に眠っているのが見つかった。

 同大の依頼でピアノ修復の第一人者、松永栄二さん(82)=京都市=が解体し、響板の「日本樂器製造株式會社・山葉鑒製」という銘票や、フレーム下の部材にある社名のゴム印を発見。港区教委所蔵の旧氷川小学校のヤマハ製グランドピアノ(1907年ごろ)を比較のため鑑定し、奈良女子大のピアノには▽ペダルの接続部が棚板と鍵盤の間に入っている▽弦を支えるコマの切り込みが現在の約5倍の約10ミリある????ことが分かった。

 松永さんらの鑑定で、▽木材やフレームの鉄材が氷川小のピアノより格段に上質▽フレームの透かし彫りは国産に類例がなく、ドイツ製品に近似▽氷川小のピアノにはある製造番号がどこにも刻まれていない????ことも判明。現在のピアノにはない特徴があり、ヤマハが良質な部品を輸入して試作した極初期の国産ピアノの可能性が高いという。

 ヤマハは「現時点ではいつ製作されたピアノか確認できないが、明治時代のピアノ自体が貴重。可能な限り調査したい」としている。【沢木政輝】

毎日新聞 2005年9月17日 15時00分

せっかくだからヤマハの歴史を紐解いてみました。

へぇーへぇーへぇー
もともとは和歌山の人だったのか。それが浜松でオルガン作り始めて。
スズキとは全然生い立ちが違うのね。

ヤマハ株式会社」は1987(昭和62)年10月1日、その前身「日本楽器製造株式会社」から現在の社名に変更しました。

それは創業者山葉寅楠(1851(嘉永4)年4月20日生、1916(大正5)年8月8日没)が、静岡県浜松市で1台の壊れたオルガンの修理をきっかけにして創業を開始してからちょうど100年目の年でもありました。当社の商標「YAMAHA」はこの創業者の名に由来します。

山葉寅楠は、紀州(現在の和歌山県)徳川藩士で、天文係をしていた山葉孝之助の三男として生まれました。父の仕事を見たり、器具や機械をいじったりして育った彼は器具や機械類に関心をもち、また手先が器用なことから、その後長崎で時計づくりを学びました。長崎時代に医療器械を手がけ、1884(明治 17)年頃から医療器械の修理のため浜松の病院を訪れるようになりました。

そこで1887年に浜松尋常小学校(現在の元城小学校)の壊れたオルガンの修理に成功したところからオルガン製作を決意し、1888(明治21)年浜松に合資会社山葉風琴製造所を設立しました。1897年(明治30)年10月12日には資本金10万円で日本楽器製造株式会社を設立し、初代社長に就任しました。